「神倉書斎」に、ある旅行者がたどり着く
あなたは移動でくたくたで、ようやっと予約していた今夜の宿に辿りつく。荷物を置こうと階段をあがっていくと、午後ももう遅いのに、二階の部屋から漏れてくる光がまだ明るい。空気がかすかに階段をながれてくる。窓があいているんだろうか?
階段をあがりきって、あなたはちょっと驚く。よくある畳の寝室を想像していたのに、目の前にあるのは書斎のような部屋だ。午後の最後の日差しをあびているその部屋はとても静かで、夕べの訪れを告げる風にカーテンがけだるげにゆれてそっとこすれる音と、どこか遠くの海鳥のこえ以外、なにも聞こえない。
部屋にはなんだか『違和感』がある。ちらかってるわけではないんだけど、きっちり片付いてもいない。本や石、道具なんかが、部屋のいろんなところに積み重なっている。すべてのものがずいぶん古そうに見えるのに、持ち主がたった今部屋を出たばかりで、すぐに戻ってくるんじゃないかとも思える。なんて不思議な場所だろう。
部屋の一番大きな窓の真ん前に机があり、あなたの目はその上に引き付けられる。ふと好奇心に駆られて、荷物を置いて一歩近づいてみる。さまざまなものにまぎれて、一通の手紙が、石で押さえて置かれている。おそらく、風に飛ばされてどこかへいってしまわないように。足の疲れを思い出し、あなたは椅子に腰かけて、手紙に何が書かれているのか読み始める。
2月15日
親愛なる友へ
『新宮市に無事つきました。海に近い南の街ということで予想していた通り、2月のはじめとしてはそれほど寒くありません。春が、主に梅の木にですが、もうすでにその色を見せ始めています。梅といえば、これから一年住む場所をもう見つけました。部屋からピンクの梅の花が全力でさきほこる姿をみることができます。』
手紙はさらに続く。手紙を書いた人物がどうやってこの家に住むことができたのかについての詳細。偶然出会った親切な年配の女性が、自分の追い求めている研究について(それがなんであれ)、協力を強く望んでくれたこと。そしてこんなふうに締めくくられている。
『これ以上ない完璧な隠れ家を見つけたと感じています。私たちの問いへの答えを、私はきっと見つけることができると思っています。
君のほうも順調でありますように。じきに雪が解けて梅の花がそちらでも咲きますように。
心より 』
あなたは、手紙を置いて息をつき、椅子の上でリラックスしながら、手紙はこの一通だけだろうかと考える。そして、半ば機械的に、机の一番上の引き出しを開ける。
やはり。何通もの手紙。
部屋の戸がみんな開け放たれていたので、さっき奥へ進むとき、ちらりと寝室があるのが目に入っていた。もう外はすっかり暗い。あなたは立ち上がって机の前の窓をしめ、待ち望んだ畳の部屋に、荷物とあなた自身を運び込む。